ハープ奏者 福本しのぶ - PROFILE - complete -

last updated : 2016-01-21

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福本しのぶアニエス Shinobu Agnes FUKUMOTO

フランス ニース生まれ。
3ヶ月でパリへ。
3歳よりピアノを、6歳よりアネット・パルマンティエ氏(ジェラール・パルマンティエ -ピアニスト/作曲家- 夫人)の元、ハープを始める。
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同じアパートに住んでいたカメラマンに、時々モデルとして使われる。
親ばかで、モデルオーディションを受けさせられるが、もの凄く "timide" (ティミード=仏語=引っ込み思案)な性格でジッとカメラを見つめるのみ。もちろん続かない。

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内股矯正のためとバレエを習う。
5歳の時、どうやらバレエ教室にて撮影があったそうで...
1981年公開された映画「Les Uns et les Autres(愛と哀しみのボレロ)」
(クロード・ル・ルーシュ監督)に下手なバレエ姿が出てしまう。
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9歳にてUFAM国際コンクール・ハープ科ジュニア部門にて1位&審査員満場一致賞受賞。
当時通っていたCONSERVATOIRE ASNIERES SUR SEINE(アニエール音楽学校)より、アニエール市役所コンサート代表に選ばれる。


夢を見つけるのが夢

パリ日本人学校小学部卒業文集 "将来の夢" と題する作文に、周囲は子供らしく「お花屋さん」「警察官」と書いているのを横目に、一人、
IMG_3484.JPG「私には夢がない。
もしかしたらハープ奏者になるかもしれないが、夢を見つけるのが夢」
とかわいらしさの欠片もない事を書き、先生方に心配される。

中学に入ると音楽学校も忙しくなり、修学旅行には参加できず。
同級生と違う行動をすることに、またもや先生方に心配される。

高校受験をするかしないか悩み多き中学2年の夏。
ベビーブーム最後の世代。受験戦争を目の当たりにし、"勉強だけが全てか!?" と受験を断念。
ついでにパリ日本人中学校を中退。"先の意味がなければ辞める"という親の教訓。
EABJM(Ecole Active Bilingue Jeannine Manuel)、パリのバイリンガル中学高等学校へ入学。
最初に参加した授業が化学。授業は英語で、全く理解できず。猛勉強開始。

中学3年。第42回青少年国際映画祭、日本代表審査員として選ばれる。
1週間缶詰状態で一日3本の映画を観て、映画アレルギーになる。

音楽の方は、ピアノとハープの先生でお弟子の取り合いになり、ピアノを辞める。2つの音楽院に通っていたが、アニエール音楽学校、ソルフェージュ・クラスの卒業とともに辞め、パリ・ラフマニノフ音楽院にしぼり、パリ音楽院の先生やフレデリック・カンブルラン(カンブルラン3兄妹の末っ子)にも教わる。

高校2年の冬。
友人達とスキーに行き、2日目に突っ込まれ靭帯損傷。
1週間滞在予定だったのでパリに戻る事なく、毎日お腹に"チクリ"と痛み止めの注射を。
パリに戻った暮れも押し詰まる頃。病院も受け入れてくれず、"まぁ〜靭帯損傷だから時間が過ぎれば治るさ"、な〜んて呑気にしているが、腹痛が続く毎日。日曜往診のお医者に見せるも、流行の風邪だと言われ、またお腹に"チクリ"と痛み止め。
その夜、どうしても痛みが治まらなく、親に頭を下げて「病院に連れて行って下さい」と。

腹膜炎で緊急入院。
「あと5分遅かったら...」と言われ、何が何だかわからず9時間に及ぶ手術に。
退院したものの、自宅にて傷口が開いてしまい再入院。
3ヶ月の入院と安静生活。

退院から2ヶ月後に行われたUFAMコンクール最上級部門にて1位なしの2位を受賞。
気がつけば、6歳から続けたハープ。
初めて"数ヶ月も楽器に触れない"という状況におかれ、"体力がなければ音楽家もできない"と、音楽家になる事を断念。

生きてるだけで良かった

IMG_4721.jpgしかし音楽好きは変わらず。バンド活動開始。
実は中学でドラムを始め、ギターを触り、ベースに落ち着く。
高校の学園祭や、音楽の日にはオペラ界隈の免税店の前、ライブハウスなどで恥をさらす ^-^;

"日本を知りたい" という事で大学受験を考えるが、駄目だったらパリ音楽院へ行くという条件で1校だけ受験することに。
慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス 環境情報学部へ入学。

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1993年6月、パリ・ラフマニノフ音楽院ハープ科を卒業。

音楽家の道へは行くつもりなかったが、入学時、学食でオーケストラの先輩に声をかけられハープを弾く事に。これまで一人で弾いてきたので、大勢で音楽を奏でるオーケストラの虜となる。


一生できる仕事を探しなさい

周囲が就職活動している中、父に相談すると、
「一生できる仕事を探しなさい」と言われ、卒業後、悩んだ挙げ句パリの建築大学へ進学。
国際色豊かな学校で、"人種"について考える。
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そんな中、知人のカメラマンの展覧会を企画。
招待状デザインに力を入れる。
" 1999年 パリ「Reflets」(水たまり) 野本将文 "

"先の意味がなければ辞める" という親の教訓は健在で、2年後、中退。

2000年、東京にてOL生活。1年間の社会人生活を経験し、色々と考えた挙げ句、原点に戻り再びパリへ。

フランシス・ピエール氏の元を訪ねる。
言葉ができるからか、レッスンはほぼ会話。いや、レッスン後のシャンパン・タイムの方が多いか!?

一年も経たない時に、「ちょっと用事があって行けないから、僕のかわりに行ってくれないか」と、ピエール氏の仕事を手伝う事に。

2004年、パリ・エコールノルマル音楽院ハープ科卒業、2005年、同校室内楽科卒業。

2004年より、縁あって、一人でも多くの人にハープの音色を聴いてもらって、仕事に繋がればと、ボランティアで夏の軽井沢 日動画廊 ギャラリーコンサート開始。
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2005年サントリーホールにて日本デビュー。洋画家である父・福本章とのコラボレーションDVD「響き~harmonie~」を発売。CDでも制作しようか...と考えながら、他と違うものをと、DVDを作る事に。
音楽録音は自宅。車が通る度に中断する大変さを味わう。

IMG_0170.JPG目黒パーシモン
2006年4月、フランシス・ピエール来日コンサートツアー。
とにかくお世話になったピエール氏。先生の音色を一人でも多くの日本人に聴かせたいと企画。
名古屋、東京2公演、マスタークラスなど、内容の濃いツアーに。 


2007年より、長泉寺 藤の花の下コンサート開始。
住職がハープを好きになってくださった縁で、埼玉県の天然記念物、樹齢650年と推定される藤の下でハープ+αの音色を届ける事に。
IMG_1241.JPGSalle Cortot
2010年11月、"和と洋の癒合〜尺八&ハープ〜" 欧州ツアー。
友人から尺八奏者を紹介されてから3年。ハープは"竪琴"とも呼ばれる楽器なので、和の楽器とも合うのではないかと始めたプロジェクト。サントリーホールでの公演も大好評に終え、欧州ツアー、パリ2公演、ベルギー、マスタークラスなど企画。


他、ソロでは美術館コンサート等、また東京・パリにてオーケストラ出演、録音などに参加。室内楽や若手作曲家との交流を深め、現代曲に力を入れる。
フランスと日本の架橋となり、通訳、音楽・美術関係コーディネートもする。   

そして、つづく...♪

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